Evernote、Notion、Obsidian と乗り換えて分かった ― 欲しかったのはメモアプリではなかった
メモアプリを乗り換え続けた末に気づいたのは、自分が欲しかったのはメモを溜める場所ではなく、見たい情報にすぐ届くことだった。AI に整理させるのはやめていない。やめたのは、見た目まで AI に任せることだった。
Evernote、Notion、Obsidian と乗り換えてきました。最後にたどり着いたのは次のアプリではなく、メモアプリを選ぶのをやめることでした。AI に整理させるのはやめていません。やめたのは、見た目まで AI に任せることです。
乗り換えの記録
昔からメモはよく取っていました。使っているツール、覚えたノウハウ、思いついたこと。とにかく何でも書き残す方です。
そして書き残すたびに考えていたのが、どう分類したら見やすくなるか、でした。この問いに答えを出そうとして、私は入れ物を三回変えています。
- Evernote。分類の付け方をずっと試行錯誤していた。タグは使えたけれど、自分が見やすいと感じる多階層のツリーが作れない、という不満があった。
- Notion。もっと自由にカスタマイズできると思って移った。決め手は、ツリーもタグも両方使えること。
- データベースとビュー。ツリーだけでは管理しきれなくなり、データベースとタグで分類し直した。ここでいうビューとは、同じデータを見たい条件ごとに並べ替えて表示する機能のこと。
- AI に整理させることを考えた。ただ Notion に AI をつなぐ形は、やり取りするデータの量が多くなりそうで見送った。
- Obsidian へ移ろうとした。中身がただのテキストファイルなので、AI がそのまま読める。整理も任せられて起動も速い。
ここまでは、順当に進んでいたと思います。実際に詰まったのは、この先でした。
毎回ぶつかった壁
移るたびに「今度こそ解決した」と思っていました。実際、移った直後はいつも快適です。問題は少し経ってから出てきます。
| 入れ物 | ぶつかった壁 |
|---|---|
| Evernote | 欲しい深さの階層が作れない |
| Notion | 階層だけでは管理しきれない |
| データベースとビュー | ひとつのデータベースが大きくなりすぎて操作性が落ちた |
| Obsidian | 整理の結果を自分が把握できない/要約を頼んでも見やすくならない |
最後の Obsidian が、いちばん決定的でした。一部を移し終えたあたりで、二つのことに気づきます。
ひとつは、入れた文章がどこに整理されたのか、パッと分からなくなったこと。AI はきちんと整理してくれます。ただ、その整理が自分の頭の中の地図と一致しない。結果として、自分で書いたはずのメモを探す羽目になりました。
もうひとつは、要約が期待どおりにならなかったことです。「要約して」と頼んでも、長々とした文章が返ってきたり、そもそも見やすくならなかったりする。頼み方を変えれば多少は良くなりますが、毎回それをやるのかと考えると続きません。
そこで移行を保留しました。Obsidian が悪かったわけではありません。ただ、このまま全部移しても、たぶん同じところで詰まる。そういう予感がありました。
転換点 ― 答えはメモの外にあった
保留したまま、しばらくメモのことは考えていませんでした。
その間、別のプロジェクトや仕事で Claude Code を使っていました。やっていたのは、資料づくりです。手元の情報を渡して、読みやすい形に整えてもらう。これは日常的にやっていて、うまくいっていました。
ある日、それを見ていて思いました。
自分のメモも、これでいいやん。
メモをどこに置くか、どう分類するか、どのアプリが優れているか。ずっとその中で考えていたのに、答えはまったく別の作業の中で、毎日すでに使っていたものでした。
そこから逆算して、自分が本当に欲しかったものを言葉にできました。
この二つは別物です。にもかかわらず、メモアプリは両方を一つで引き受けようとします。書く場所と読む場所が同じだから、どちらかを良くするともう一方が犠牲になる。私が何度も詰まっていたのは、ここでした。
だったら、分ければいい。原本はテキストのまま置いておいて、見る形は別に作る。
原本と、見る形を分ける
作ったものは、そんなに大げさな仕組みではありません。
メモは、テキストファイルのまま置いておきます。私の場合はふだん開発に使っているフォルダの中に置いたので、Claude Code がそのまま読める状態になりました。これが原本です。
そのうえで、カテゴリごとに専用のページを作りました。型は決めていません。料理には料理の、健康には健康の、いちばん見やすいと思う形があるからです。中身を構造化して、その形に整えたページを生成します。
いま動いているのは三つです。
見た目はそれぞれ違います。料理なら、材料のカードと番号付きの手順、それに何分でできて何人分か。健康なら、採用しているか見送ったかのバッジと、効果、それに買える場所へのリンク。スマホから見られるようにしたので、台所でも棚の前でも開けます。
同じ「メモ」でも、欲しい形はこれだけ違いました。一つの入れ物にきれいに収めようとしていたのが、そもそも無理だったわけです。
AI はどこまで、決定論はどこから
ここが、いちばん伝えたいところです。
Obsidian で詰まったとき、私は AI に整理も見た目も両方を任せていました。だから毎回結果が変わるし、どこへ行ったか分からなくなる。今の形では、そこを二つに分けています。
- 整理と分類は AI。書き溜めたメモを Claude Code に渡して、決まった形に整えてもらう。ここは人が頼んだときだけ動く。
- ページの生成は AI を使わない。整えたテキストから、あらかじめ作っておいた生成器がページを組み立てる。同じ入力なら、何度やっても同じページになる。
やめたのは AI に整理させることではなく、見た目まで AI に任せることでした。見た目が毎回変わると、どこに何があるか覚えられません。逆に言えば、そこさえ固定してしまえば、AI の揺らぎは気にならなくなります。
そしてもう一つ。専用の見せ方は、全部のカテゴリに作る必要はありませんでした。
最初にできたのは FIRE でした。これは本文がそのまま読みやすく組まれるだけの、共通の描画で足りています。表と補足で構成された文章なので、それ以上の作り込みが要らなかった。
一方で料理と健康は、それでは足りませんでした。材料と手順を並べたい、採用か見送りかをひと目で出したい。本文をただ読みやすくするのとは違う要求があったので、あとから専用の見せ方を足しています。
検索アプリを作って、捨てた
もう一つ、白状しておきます。
見たい情報にたどり着けないという問題に対して、私が最初に出した答えは検索でした。メモを横断して検索できるアプリを、実際に作っています。
そのアプリは今ありません。カテゴリごとのページができた時点で、使わなくなって畳みました。
理由ははっきりしています。見たい形で並んでいれば、そもそも探す必要がない。料理のページを開けば、レシピが一覧で並んでいます。検索窓に何か打ち込む場面が来ません。
これは自分でも意外でした。検索が弱いから見つからないのだと思っていたのに、実際には並べ方の問題だったわけです。溜める側だけを良くしようとしていたという話の、いちばん分かりやすい証拠がこれだと思っています。
払っている手間
いいことばかり書いてきたので、代償の話もしておきます。
まず、ページの生成器は、カテゴリごとに作らないといけません。しかも一発では決まりません。そのカテゴリにどんな文章が入っているかを見ながら、どう並べれば見やすいかを試行錯誤して作らせることになります。半日くらいは覚悟がいる作業です。専用の見せ方が二つしかないのは、単純にそういう理由でもあります。
次に、整理を頼んでも一回で想定どおりにはなりません。何度かやり取りが発生します。ここは AI に任せている以上、避けられない部分だと思っています。
そして、書いたメモがすぐ見やすい形になるわけではありません。追記はいったん溜めて、まとめて整えてもらう流れです。
正直に書くと、今この手間はほとんど発生していません。理由は少し情けなくて、メモの追加自体が減ったからです。ただ、これは悪いことばかりでもないと思っています。見たい情報にすぐ届くようになったぶん、同じことを何度もメモし直す必要がなくなりました。
同じことをやるなら
いちばん伝わってほしいのは、道具の名前ではありません。
私が三回も四回も引っ越したのは、毎回「どのアプリがいいか」を考えていたからでした。その問いは、何度答えを出しても次の引っ越しに繋がります。効いたのは、問いを変えたことです。
なので、始め方としておすすめしたいのは全部を移すことではありません。いま一番見づらいと感じているカテゴリを、一つだけ選んでください。そのカテゴリだけ、原本はそのままにして、見る形を別に作ってみる。それで手応えがなければ、元のアプリに戻るだけで済みます。
そして、これは Claude Code でなくても、この作り方でなくても成立する話です。大事なのは溜める場所と、見る場所を分けていいと気づくことの方でした。
最後に、この仕組みで一番よかったことを書いておきます。難しい話ではありません。
料理のレシピが、すぐ出せるようになりました。
台所でスマホを開けば、材料と手順が並んでいます。何年もメモアプリを乗り換え続けて、たどり着いた成果がこれです。地味だと自分でも思いますが、毎日使うものが毎日ちゃんと使えるというのは、思っていたよりずっといいものでした。